2009年10月28日

祖母の若い頃の食

 先日、祖母(86歳)と、若い頃(子どもの頃)何を食べていたかという話になりました。おもしろかった。思い出して、少し書いてみます。((カッコ)は僕の注釈)
 
 ―昔は毎日なんば食べゆったと?
そうねー、イモとか麦ばっかりたいね(お米に混ぜて)。あとカボチャとかも、よー食いよった。
春は竹ん子とか山からいっぱい採ってきたやつば、さあ皮ば剥けってゆうて、子どもたち(自分たち)皆で剥きゆったとばい。(季節に応じて)これならこれって同じんとば、毎日(何週間も)続けてずっと食いゆった。 
山にいろいろ採りに行きゆったよ。(果物も、野ブドウやアケビがどこそこにあったとか、話してました。)
 
 ―イモとか麦とか、玄米に混ぜゆったとね?
うんにゃ玄米じゃなかったよ。白かと。精米所に持っていきゆったよ。(約1kmのところに祖母が昔から精米所と呼んでいる家があるので、おそらくそこのこと。) 麦は半分くらい混ぜゆったかね。(ちなみに家族で米も麦も、野菜もすべて作っていたらしいです。)

 ―魚とか肉は?
イワシばいっぱい塩に漬けとって床の下に置いとったったい。そいでそこから出して食いよった。(塩が)辛かったばい。 あと鯨の肉の大きかとの(肩幅くらいに手を広げて)、ぶら下げとって、そいば薄うにソギながら食べゆった。
肉も食べゆったよ。(もちろん現代日本の食生活には及ばない量)
畑仕事に牛ば飼いゆったけんね。(それを業者に売っていた。) ウチまで肉ば売りに来るひとのおったよ。そん人の「すき焼きのおいしか方法ば教えてやる」って言わして、教えてもらったとよ。肉に先に味ばしっかりつけてから、野菜ばいれるったい。ずっと、そがんして作りゆるよ。

 とりあえずこれだけ。もっと話聞きたい、そう思います。食のありかた、いろいろ考えることになりますね。
posted by たべつむぎ at 23:00| 食考食思

2009年08月02日

自分の食に責任をもつこと

自分の食に責任をもつことは、自分の生き方に責任をもつための重要な条件だと思っています。
 
 食べることは、生きることです。
 この食べることを人任せにしすぎるのは非常にマズい。なんだか“私”という存在をカタチづくる枠線の一部が、にじんで消え入りそうな気がしてくるのです。

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posted by たべつむぎ at 23:56| 食考食思