2011年10月30日

「食卓は語る〜」の続き

西日本新聞日曜の連載「食卓は語る 現代家族の実像」
大変共感できる記事ですので、簡単にまとめてみます。
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連載4回目(2011年10月23日33面)
〜みそ、しょうゆ 消えた基礎調味料〜

「みそはめったに使わないから、2年前に買ったのがまだ残っている」
こんな話を主婦から聞くことが珍しくなくなった。その理由は洋風料理や中華料理の増加のため、というだけではない。
一番の理由は、最近の主婦が「さしすせそ」(砂糖、塩、酢、しょうゆ、みそ)の基礎調味料では味付けしなくなってきたからだ。
そばやうどんを作るときも、添付のつゆか、市販のつゆの素を使う。ステーキしょうゆ、しょうゆ味のドレッシングやたれ類もある。近年「しょうゆ」の出番はめったにないのだ。
酢だって、ポン酢、土佐酢、三杯酢、すし酢など多種あるから、「酢」が使われなくなっている。
ホットケーキミックス、からあげ粉、てんぷら粉、ムニエル粉、お好み焼き粉、たこ焼き粉、パン用ミックス粉、、、「小麦」さえ無用である。
かつてなら基礎調味料や小麦粉など基本素材があれば済んだ台所に、必ずしも常用されない加工品が増えている。
主婦たちにとって「あの味はどうやって作るのか分からない」「あの粉の中に何が入っているのか」。
調味料の瓶や袋は既に「ブラックボックス」である。
便利でおいしい加工調味料は、本当に家庭の味を豊かにしているのか。
使いきれずに持て余されるみそやしょうゆは、家庭の味は消えていく台所を物語っているようだ。
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 以前、少し紹介した僕のお気に入り写真本『地球の食卓 世界24カ国の家族のごはん』(ピーター・メンツェル、フェイス・ダルージオ共著 TOTO出版)を思い起こします。
いわゆる先進国、特に日本の家庭一週間分の食材写真が、やたらとゴチャゴチャみえるのは、基礎調味料や基礎素材を使えず(使わず)、出来合いのものばかり買っているからでもあります。
食卓における「豊か」の意味が、「自分で作らない(作れない)」ということと同義になるとしたら、それはとても貧しいことです。

連載記事はまだ続いています。また折を見てまとめます。

posted by たべつむぎ at 23:56| 食考食思

2011年10月03日

「食卓は語る 現代家族の実像」より

9/18記事にも紹介しました、西日本新聞日曜の連載「食卓は語る 現代家族の実像」。
この記事を簡単にまとめる機会がありましたのでアップしておきます。
連載1回目〜3回目より(2011年9月18日31面、2011年9月25日35面、2011年10月2日29面)
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・「息子が朝食はプリンと言ったから」「おやつを食べ過ぎた娘が夕食は食べたがらなかったからその通りにした。
・時間に関係なく、「子どもがうるさいから」「子どもが待てないから」、すぐ出せる菓子パンや冷凍たこ焼き、ふりかけご飯などを与えてしまう。そのあとの食事にはもう興味を示さない。

〜まとめの続きを読む(PDFファイル)→→→110918rennsai-shuusei.pdf
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正直申しますと、僕の生まれてこのかたの食卓を考えても、この記事そんなにヒトゴトでもない。
だからこそ、大変興味深く読んでいます。

家庭の食卓の姿は、家庭の姿です。そしてそれは更に、私たち社会そのものでもあります。 
これからの食卓〜家庭〜社会はどうなっていくのでしょうか…。
posted by たべつむぎ at 22:51| 食考食思

2011年01月23日

たべつむぎ便り・創刊号

 食育祭にあわせて、ずっとやってみたかった「たべつむぎ便り」を作って配りました。
 ブログに載せてきたたべつむぎの記録と、新しい文書の切り張りです。
tayori.no1.manga.jpg

今回はやたら文章を詰めてしまいました。
 2ページ『自給率0.1%をめざす』については、まだ内容を練っていきたいところです。ご意見、ご指摘、ご感想お願いします。
 たべつむぎ便り創刊号(PDFファイル)tayori.no1.110123.pdf
posted by たべつむぎ at 22:17| 食考食思

2011年01月17日

新聞より拝借

 西日本新聞1/9(27面)、1/16(37面)では、「TPP交渉と農」と題して、山下惣一氏と宇根豊氏の対談記事が載っています。(来週1/23も含めての3回連載)
本題はTPPについてですがお二人の、農の本来を考えさせられる発言が端々に入ってますので、ちょっと長くなりますが、僕の好きな個所を以下に拝借します。(カッコは僕の補足です。)
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・(農業界と産業界の利権争いという構図になってしまいがちだが、) 食料の自力生産だけでなく、農地や森林が育む多面的機能や生物多様性も、ガタガタになるぞっていう事実を国民に突きつけ、経済ではないナショナルな価値、あるべき姿を問おう。<1/9宇根氏>

・日本の食費が高いのは、消費者が自分で料理をしなくなったから。国民が年間に支出している飲食費73兆円の内訳は、生鮮が18%、加工品53%、外食29%だ。茶わん1杯のコメは1`400円の品で約30円で、生産者価格はその半分。それなのに高く感じるのは、加工や流通の経費を負担しているためだ。<1/9山下氏>

・昔はどの農家にも家畜がいた。その一部分を拡大したのが今の畜産業。安い飼料を輸入し、大規模・効率化した結果、水より安い牛乳はできたが、一極集中によって、ふん尿公害も起こる。口蹄疫やBSE、鳥インフルエンザが発生したら、被害の方も甚大。生産性重視の飼い方で病気にもかかりやすくなるから、抗生物質も必要になり、作る方も食べる方ももう命懸け。そして地球が壊れていくというのが今の構図だ。<1/9山下氏>

・生産とか生産性とかは、要するに金で換算できる世界。工業から生まれた言葉に尺度を合わせたがために、農業の持つ、直接的に金にならない大事な役割が見えなくなった。それを見えるようにしなければならんときに、相変わらず、GDPがどうだと工業的な言葉で語っていること自体が、時代遅れだ。<1/9宇根氏>

・国は自給率を上げるため麦や大豆を作れ、ほかは作らんでよかと、分業を進めながら、自給率を上げようとしている。でも延長線上には外国分業がある。自給の土台は経済価値ではない。自然、仕事、人間関係、教育とか、金にならないもの、目に見えないものの自給まで考える国家であってほしい。農家も地域も、そこから出直す必要がある。<1/16宇根氏>
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 長くなったついでに、おすすめの本を一冊紹介。
本「自給再考 グローバリゼーションの次は何か」2008/山崎農業研究所編/農文協

 「自給」という言葉の意味自体と必要性を問い直そう、という内容です。
宇根豊『自給は「原理主義」でありたい』も収録されています。ご興味のある方は目を通されてください。佐世保市立図書館、たべつむぎ文庫にも1冊ずつあります手(チョキ)
posted by たべつむぎ at 07:45| 食考食思

2010年10月13日

ミツバチたすけ隊inCOP10

 佐世保のミツバチたすけ隊が、名古屋で開かれるCOP10でブース展示します。
 ニホンミツバチのすばらしさと、ミツバチ減少の問題を取り上げられます。応援しています。(多額の費用がかかっています。協賛金も募集中)

 現地でファイルを置いてくれるということで、僕も寄稿しました。ちょっと強引な文章だな。
 ご意見いただけましたら、勉強になります。

 寄稿文を見る→COP10展示に寄せて101013.pdf
posted by たべつむぎ at 23:55| 食考食思